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2008年02月11日

サクラ会 2008年2月10日

本日はHISスキーのU野氏の主宰でHere I Stand(GMT)の日でした。

参加者と担当は以下の通り
オスマン帝国  T田氏
ハプスブルク家 AMI
イングランド  I崎氏
フランス    K村氏
ローマ教皇   みねさん
新教      U野氏

第1ターン、手札で唯一良かったのはアンドレア・ドーリア。これはさすがに投入できないのでヴォルムス公会議には2CPしか割けなかった。ドーリアは再使用されるとすぐに奪われてしまうので、暫く温存する予定だったのだが、不運にも1ターン目からバーバリー海賊が出てしまったので仕方なくジェノバを同盟国にする。新世界では3の探検家が太平洋へ抜けるものの世界周航には失敗した。

序盤、優勢だったのはローマ教皇で、無作為選出の宗教論争で度々エックを登場させ、2人の新教論客を異端として火炙りに処した。
我が帝国は造船所の備えがあったのでスペイン、ジェノヴァ、教皇の連合艦隊をエーゲ海まで派遣して仇敵ハイレディンに決戦を挑むが互いに打撃を与え有った末に敗走してしまった。
しかし、織物相場が好況なことに加え(教皇が二回もカードを出してくれた)、新世界征服も好調で三文明の征服を独占した挙げ句、収奪も好調で2ターン以降、3213という高収益をあげていた。

新教徒がハプスブルク叩きのためにイベントを多数発射していたこともあって、一時は教皇が22VPまで迫ったが、スレイマン大帝が傭兵を扇動して解散させてしまったため、その野望は断たれてしまった。

イングランドはエリザベスが生まれた後、後宮生活でやや苦労していたものの、新世界では五大湖とアマゾン河を発見し、英語圏を布教しきれば25VPに届くところまできていた。
逆にフランスは新世界での活動が思わしくなく、やや伸び悩んでいた。

造船所とヴェネツィアとの政略結婚で海軍を再建した我が軍はアルジェの太守を内応させて北アフリカの根拠地を奪取するが、オスマン軍は大軍をウィーン方面に送り込んでカール軍に決戦を挑みこれを敗走させた。
残り1兵力となって下手をすればカールが捕虜になりかねなかったので、不潔な野営所とエジプトの叛乱でオスマン軍の戦力を減らしたところ、オスマン側から休戦の提案があり、これに合意した。

待望の男児を得たイングランドは反オスマンの姿勢を表明したフランスの背後を襲って漁夫の利を取り、国内の布教に力を注ぎ始める。我が国もスペインの異端審問を使って5CPのカードを捨てさせたり、イエズス会大学を建設させて、なんとか足を引っ張り5ターン目の25VP到達は阻止された。

教皇軍によるミラノ攻略失敗を見て、ヴェネツィアに避難していたカール5世がミラノに進撃してこれを攻略。ハプスのVPは22まであがった。

この時点までに新大陸は探険し尽くされていたが、不老の泉の噂でスペインのバッカが行方不明になったり、黄金郷の噂でフランスの探検隊が行方不明になったりして、世界周航だけは達成されていなかった。このターンもマゼラン、カルティエというエース級の探検家は登場しなかったがハプスブルク家のレオンが困難な航海の末に世界一周を達成し、25VPを達成して勝利した。

今回はとにかく新世界からの収益がすばらしく2ターン以降の4回で都合9枚ものカードを獲得することができた。また、直接のカードやりときは基本的になかったものの、教皇との間で互いに有力なイベントの打ち合いができたことが勝因だったかと思います。
自分に直接利益のないカードはついついCPとして使ってしまうと思うのですが、イベントの相互使用が循環すればCPとして使う以上の利益を得られることが多いので、信頼できるパートナーを作るのは重要かなと。

教皇はジェノヴァもヴェネツィアもない状態でよく健闘したと思います。宗教論争でVPを稼ぐ方法も基本的には成功していましたし、あと1枚有力なカードをがあれば勝てていたのではないかと思います。

1日中、HISをやっていたので他の卓でプレイされていたゲームについてはよくわかりません。
posted by AMI at 19:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 遠征日誌
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