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2017年08月12日

若江古戦場

若江の戦いは大坂夏の陣で発生した戦いのひとつ(現在の大阪府東大阪市)。八尾の戦いと連動して河内口から侵入する関東の軍を迎え撃ったことから、八尾・若江の戦いと一括りにされる。関東方の藤堂勢や井伊勢の先手の将を討ち取ったものの、大将の木村重成が戦死し残兵は大坂城へ撤退した。

オデッセイ師宅から徒歩30分程度、最初に着いたのは若江城跡の碑。若江城は南北朝時代に畠山氏によって築城され、戦国時代には三好氏や織田氏に利用された末、1583年に破却されたので大坂の陣とは関係しない。
道路を挟んで2箇所に説明板や碑が建っている。
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次いで木村重成像を探すがこれが見つからない。もともと住宅地の中に入り込んだわかりにくい場所という情報を得ていたので先に通りかかった蓮城寺にお参りする。

蓮城寺には木村重成の霊牌所(位牌堂)があり、肖像画も祀られていた。門前に碑が、堂前には幟が立っていたり、B4両面2枚にびっしり重成公の事績等を紹介したチラシ等が置いてあり、結構力を入れられているようだが、お寺の方の姿は見えなかった。
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お隣の若江鏡神社もいい雰囲気だったのお参りする。
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地図を頼りにもう一度探してなんとか発見。これは事前情報をちゃんと掴んでないとやばかった。木村重成は豊臣譜代の臣。大坂冬の陣で今福砦の戦いや真田丸の戦いに参加した他和議の正使を務める。夏の陣では長宗我部盛親と共に出陣し、若江の戦いで藤堂、井伊勢と戦って討ち死にした。住宅と駐車場に囲まれた一角にあり、正規の入り口ではないと思われるが、駐車場から近づいて見学させてもらった。像の建っている土地は柵で囲まれていて入りぐりはない。草ぼーぼーになってないので完全放置ではないのだろうが、倒れている碑があったり、柵の一部が壊れていたりして今後の状態が心配。
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少し歩いて第二寝屋川を渡り、小さな公園内にある木村重成の墓にお参りする。1764年に重成の150回忌に建てられたもので、昭和42年に第二寝屋川の開削工事で現在地に移設されたものという。つまり、ここは湿地帯だったが川はなかったということか。公園には遊具が設置されていたがご老人が散歩されていた他は人気なし。童心に帰ってブランコに乗ってみる。
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第二寝屋川を戻って、山口重信の墓へ参る。山口重信は牛久藩主山口重政の嫡男。縁組が咎められ改易され、夏の陣で井伊直孝に陣借りして若江の戦いに参加するも討ち死に。父重政は生き残って後に牛久藩再興を認められた。重信の三十三回忌に建てられたもので、現在は若江南墓地内にあり、お盆期間なのでご先祖の供養に来ている方が大勢おられた。墓地内に一際大きな墓石があり、なんだこれはと思って近づいたらそれこそが山口重信の墓だった。墓石が大きすぎてお参りしている方々から遮ってくれたので少しだけ撮影。1万石とはいえ当時の藩主が兄のために建てたのだから大きくて当然ですな。
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目的をすべて果たして帰路につく。途中イズミヤがあったので昼食を買い込んでオデッセイ師宅に戻った。買い物も含めて3時間強か。
posted by AMI at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | おさんぽ
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