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2008年09月27日

2008年9月27日 TSS例会

参加者:12名
プレイされたゲーム:Combat Commander、長元記(2戦)、朝鮮戦争、ドイツ装甲軍団スモレンスク、モスクワ攻防戦、1941、エポック関ヶ原、日清戦争、項羽と劉邦、激闘マンシュタイン軍集団(2卓)

例会全体の様子は錦大帝の雑記帳をご覧ください。

本日もみねさんに乗せてもらってTSSへ。

私はまず朝から錦大帝さんとCombat Commanderをプレイ。シナリオは私の希望でC3iマガジン19号掲載のシナリオ103。1945年、連合軍最大規模の降下作戦であるバーシティー作戦における米第17空挺師団の戦いがテーマです。
米軍はエリートの空挺兵が主力ですがですが、迫撃砲1門しか支援火器がありません。一方、ドイツ軍は国民擲弾兵が混じり、オーダー能力も米軍の3に対して2にしかありませんが、HMG1、LMG3という重装備です。
目標チットは固定配置で中央の三叉路を扼する森と、森を回り込んだ先の建物が争奪対象。
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(セットアップの様子)

序盤、お互いに移動に苦しみますが、米軍はなんとか中央の建物に走り込むことに成功します。池と道路を挟んで射撃戦になりますが、ドイツ軍の頼みのHMGチームが混乱し、これを守るために一時後退させるはめに。
ドイツ軍は防御側の利点を生かし、密かに準備しておいたタコツボやトーチカを登場させて立て籠もりますが、米軍は決死隊を前進させます。間の悪いことに混乱している部隊を建て直すためにカードを回している途中で、射撃カードがなく、頼みのトーチカがあっさり白兵突撃で奪取されていまいます。これはマズイかなーと思ったのですが、後半バタバタとタイムが連続する展開でかろうじて逃げ切ることができました。

教訓:増援でHMGチームが2個も登場したのですが、結局うまく運営できなかった。カード運用を考えると1個は砲兵にした方が良かったかも。

その後、戦国群雄伝の四国エキスパンション「長元記」をデザイナーの錦さん直々にお相手していただきました。

まずは、シナリオ4中富川原。天正10年8月の中富川の合戦をテーマにしたショートシナリオです。私が十河軍で錦さんが長宗我部軍を担当。十河軍は一部のユニットに移動制限があるため実質的に三倍の敵を相手にしなければなりません。大名の野戦能力でこそ優っていますが、行動力が3の大将がいないため軍の機動力は著しく劣ります。
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(S4セットアップの様子)

長宗我部軍は調略の成果を待つため国境で待機してきました。そこで我が軍は敵の前哨拠点のひとつ阿波の仁宇城を囲み、半月かけてこれを落城させます。一方、調略の不発に業を煮やした長宗我部軍は遂に阿波に雪崩れ込んできます。そうなると、兵力に劣る十河軍はさしたる抵抗も展開できず、連絡線を脅かす行動をとるのがせいぜいで牛岐城、岩倉城を失いますが、長宗我部軍の進撃が十分ではなく、なんとか引き分けに終わりました。

その後、シナリオ4を全四国レベルに拡張した四国の蓋をプレイ。ランダムで陣営を決めたのですが、今回も私が十河、錦さんが長宗我部担当となりました。
先のシナリオではオミットされていた讃岐、伊予方面の中小大名が両軍に味方します。注目は15戦力を擁し、行動力も3と高い金子元宅と、行動力は低いものの野戦修整3の羽床資載です。問題は二人とも長宗我部方ということでしょうか。
イベント次第で伊予の河野氏と西園寺氏と豊臣、毛利の軍勢が十河方で参戦してくれる可能性があるので、これを希望として戦いに望みます。
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(S5セットアップの様子)

序盤の設定は讃岐方面が追加された以外は中富川原と同じなのですが、元々兵力の多い長宗我部軍に中小大名が合流するのだけは避けたかったので、羽床氏が移動する前に周囲を固め、籠城させたまま羽床城を包囲します。しかし、羽床資載の迎撃を怖れて強襲を手控えたため包囲戦は8月1週から9月2週まで一ヶ月以上続きました。この間、長宗我部軍は奈良、香西の城を攻める一方、主力は山地で十河存保と叩き合いになります。この戦いで長宗我部軍の依岡左京を討ち取るという戦果もあったのですが、羽床の防御は鉄壁で降伏勧告も二回はねつけられ、遂に解囲せざるを得ない状況になりました。
一方、長宗我部軍は9月3週には奈良氏の丸亀城を、10月2週には香西氏の天霧城を開城させます。奈良、香西氏の部隊は十河城に籠城して耐えていましたが、成功率1/2であるはずの士気回復が一向に成功せず、長宗我部軍から讃岐うどんをすすっていると揶揄される始末。
しかも、ターン毎に1/3で出るはずの十河方の援軍がなかなか来ません。その割に、前シナリオでは不調であった長宗我部軍の調略はさっくり成功していました。たまに援軍出現の結果がでても登場するのは「毛利軍出陣」の噂ばかり。毛利軍は安芸からやってくれるため同盟国の河野氏が参戦していないと登場してくれないのですが、何回振っても出る結果は毛利参戦(の噂)ばかりw
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(10月3週3ステージの讃岐戦線)
讃岐東方の追撃戦で十河城と切り離されてしまった十河存保はやむを得ず11月1週に阿波の拠点である勝端城に帰還します。
主力と切り離されたとはいえ、奈良、香西の戦力12戦力が籠城している十河城の攻略は困難と見たか、長宗我部軍主力は阿波を狙う配置になっていたのですが、その布陣の隙をついて十河存保は急遽反転し野田甚左衛門と大西頼包を討ち取ります(11月2週)。
しかし、11月3週には阿波一宮城が落城、そして12月1週にはさきほどとは逆に十河軍の勇将近藤正次が囲まれます。山地の上で長宗我部元親と十河存保が直接対峙しますが、地形が悪く近藤は悪鬼のごとく抵抗した末に近藤隊4千は玉砕します。
ここで十河存保は最後の手段とばかり、秋の攻城戦の痛手から回復していなかった羽床城を囲みます。存保の執念の強襲と赤沢宗伝の説得工作によって羽床親子は切腹して会場しますが、長宗我部軍に周囲を囲まれた耐久のすり減った城を維持できるはずもなく、すぐに奪還されます。12月3週には阿波岩倉城も落城し、最終1ターンでは逆転できる見込みがなくなったのでここで終了しました。
結局、増援は最後までどこからも来ませんでした。まあ、ヒストリカルといえばヒストリカルなのですが・・・w
得点的には長宗我部17点、十河11点、6点差でした。

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(終了時の様子)

展開的にはかなり厳しかったですがゲーム的には十分楽しめました。勝利条件上は最終ターンまで希望がありましたしね。
ただ、長宗我部軍が十河本体は適当にあしらって総攻めで城を落としにかかる展開になると、増援が来ないと死ねると思いますw

一応、これで(テストプレイ中にやったものも含めれば)長元記の6シナリオはすべてプレイできました。単に四国の欠地を埋めるという以上に、長短各種のシナリオが含まれていて楽しめるゲームでした。長宗我部元親は自軍が確実に勝てる戦力を無理矢理にでも用意してから勝負にでるタイプで、兵法としては正しいのでしょうがゲーム化するには難しい武将だと思います。長元記でも大兵力で平押しする長宗我部方よりも反長宗我部方をもった方がゲーム的には楽しめるのではないかと思いました(豊臣の大軍が攻めてくるシナリオ6は除く)。

みねさんはY口さんと定番の朝鮮戦争をやっていたようです。私はこのゲーム1回しかやったことがないので展開はよくわかりませんが、北朝鮮軍をもったみねさんが、Y口さんは先日、大阪ミドルアースにも出張って武勇を揮ってきY口さんの教育を受けていたようですw
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(朝鮮戦争)
posted by AMI at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 遠征日誌
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