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2009年05月08日

5版レーベンスラウムシナリオ

2009年5月の滋賀合同合宿におけるWorld in Flames 5版、レーベンスラウムシナリオのプレイ記録です。

参加者および担当国は以下の通り
ドイツ     AMI
日本、イタリア TraJanさん
英、米、中国  YENさん
ソ連      みねさん

ゲームは1941年5-6月から始まりますが、枢軸陣営(というかドイツ)にはいきなり主導権を取れるか否かという試練が待ち受けています。ここで、もし主導権を取れなければ、ソ連軍は国境の奥深くに後退してより強力な防御態勢で迎え撃って来るでしょう。
そのときは、バルバロッサ作戦は中止してトルコに雪崩れ込むつもりでしたが、幸か不幸か主導権は枢軸陣営が取り、歴史通りにバルバロッサ作戦が開始されます。アメリカの世論は共産主義者が攻撃を受けたことに対して何の反応も示しませんでした。

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(開始時全景)

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(開始時ヨーロッパ戦線)

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(開始時太平洋戦線)

ドイツ軍は南方でポーランドの山岳地帯に籠もるソ連の捨てゴマ部隊に苦労しながらも6個軍団を撃滅して前進を開始します。
北アフリカでもロンメル将軍がトブルクに籠もるオーストラリア軍を撃滅して攻勢を開始。
イギリスは西方砂漠軍を支援するために地中海艦隊を中部地中海海域に進出させますが、イタリア潜水艦の迎撃によって巡洋艦2ユニットが損傷するという損害を被ります。
ドイツは攻撃を続行しますが、地形に阻まれて前進ははかどりません。第六インパルスに連合軍が1/6でインパルスを終了させることに成功して早々にターンが終了してしまい、ミンスク工場の撤退を許します。不確定なインパルスシステムはこのゲームのキモであるとはいえ、この1/6の終了はドイツ軍にとっては痛すぎました。

7-8月、ドイツは攻勢を続け、キエフに迫りますが、有力な部隊が籠もるキエフの守りは硬く、攻略に失敗、キエフの工場の撤退を許します。
イギリス軍は再び地中海艦隊を中部地中海に送り込みますが、イタリア空軍の活躍により、戦艦2ユニット撃沈、空母1ユニット損傷という大損害を受けて撤退します。
復讐に燃えるイギリス軍はフランス北部の重要工業地帯リールを爆撃し、ドイツ空軍の迎撃を蹴散らして3生産力の損害を与えます。チャーチルはイタリア空軍よりもドイツ空軍の方が弱いと豪語していました。
ドイツ軍もレニングラードの工場を爆撃しますが、こちらは戦果が挙がりませんでした。

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9-10月、中国戦線南部でじわじわと前進していた日本軍に対し、北部戦線で中共軍が反撃に出ますが失敗に終わります。ドイツ軍はティモシェンコ将軍の司令部を捕捉撃滅しますが、ドニエプルペトロフスクの工場攻撃にまたも失敗し、撤退を許します。
バルバロッサ作戦における前進にはさほど期待していませんでしたが、国境に近い3つの工場のうち1つないし2つは占領できるつもりでいましたので、3つ全ての撤退を許したのは想定外でした。
また、イラク、ペルシャもこの時点でソ連軍が平定しており、Uボート攻撃に晒される北方の輸送ルートを使う必要がなくなったので、ソ連軍を経済的に屈服させる望みはなくなりました。
低オッズ攻撃を連発して成功すれば突破する余地はあったと思いますが、失敗したらドイツ軍が崩壊してゲームが壊れてしまうので、東部戦線の攻勢は打ち切って防御を主体に粘る戦略に切り替えました。

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11-12月は記録的な暖冬で、泥濘をおして攻勢は続行されますが、相変わらずダイスが冴えずこれといった戦果はあがりません。

1942年に入ると一転して厳冬となり、その中を押して精鋭のシベリア兵団を中心とするソ連軍の冬季反攻が始まりました。

3-4月に国民世論の調整に腐心していたルーズベルト大統領の工作が結実し、日本に先んじてアメリカ合衆国から宣戦布告が行われます。しかし、これは実質的に工業力をフルに使うためと、日本に奇襲をさせないのが主目的で、横須賀空襲は計画だけはされましたが、その困難さのために即座に中止されてしまいました。
それでも、米軍は日本軍が防備していなかったトラック島への上陸侵攻を行いますが、険しいジャングルに阻まれて上陸した米海兵隊は全滅してしまいました。
日本軍は米国の国論を心配する必要が無くなったので南方資源地帯への侵攻を計画しますが、悪天候に阻まれて上陸は延期されました。

5-6月、膠着していたアフリカ戦線を打開するために英軍はリビア戦線の後背に上陸しますが、トリポリ進撃に失敗し、アフリカ軍団の反撃を受けて上陸部隊は全滅してしまいました。
日本軍はフィリピンとボルネオの制圧に成功します。

7-8月、ソ連軍の夏季攻勢「レッド作戦」が発動されますが、防備を固めたドイツ軍の前に攻勢はすぐに頓挫してしまいました。ドイツ軍はウルフパック戦術によってフランス沖を通過する連合軍商船隊に打撃を与えました。

9-10月、ソ連軍は北極戦線に部隊を集結させ、飽和攻撃によってフィンランドを攻撃してきました。攻勢自体は頓挫しますが、在フィンランドの枢軸軍は大損害を受けて再編成を余儀なくされます。ドイツ軍はノルウェイからイギリス北部の工業都市ニューカッスルを空襲するとともに、ビスケー湾でUボート攻撃を継続し、イギリスの経済を締め上げますが、レニングラードに対する空襲は失敗します。

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(風前の灯火の中国戦線)

11-12月、米軍空母機動部隊は南方で海上警戒にあたっていた日本軍巡洋艦部隊を攻撃し、巡洋艦2ユニットを損傷させます。

1943年1-2月、中国南部を掃討し、国民党軍を奥地のウルムチまで追いやった日本軍は共産党の本拠地蘭州に迫ります。

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3-4月、蘭州は陥落して中国共産党軍は実質的に滅亡しました。

5-6月、ドイツ軍はソ連空軍空襲圏を脱するため、総退却を開始し、ポーランド、ルーマニア領内まで戦線を後退させます。追撃してきたソ連軍に対し、マンシュタイン司令部に攻勢チットを投入してバックハンドブロウを決め、親衛戦車2個軍団を潰滅させますが、国力的には戦車2個より攻勢チットの方が高く割に合わないものでした。この頃にはソ連の工業力は充実し、逆に北アフリカで苦闘を続けるイギリスの方が台所が苦しくなっていたため、ソ連からイギリスへ逆レンドリースが行われる始末でした。

7-8月、ドイツ海軍は空母ザイドリッツおよびグラーフ・ツェッペリンを出撃させ、ソ連海軍機2ユニットを撃墜、クロンシュタット軍港を空襲してソ連艦隊を潰滅させます。
日本軍は遂にウルムチまで進撃して、蒋介石はオーストラリアに亡命しました。

9-10月、ウクライナ南部の湿原地帯で包囲されていた最後のドイツ軍部隊が壊滅し、ソ連領内から枢軸軍部隊が一掃されました。
一方、北アフリカで苦闘を続けてきた英米軍はようやくドイツアフリカ軍団を潰滅させ、トリポリまで後一歩に迫ります。
米軍がラバウルに空母と戦艦多数を含む主力艦隊を派遣したことに呼応して日本軍も空母を主力とする機動部隊を派遣し、ここに太平洋戦争ではじめての本格的な空母決戦が生起します。陸上機の支援も含め航空機の総数で優越する米軍が優勢かと思われましたが、日本軍は母艦搭載機のほとんどすべてを戦闘機隊で編成するという極端なファイタースイープ戦術によって米軍編隊を圧倒、米艦隊はラバウルに後退します。

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(正規空母6隻、軽空母8隻、高速戦艦4隻からなる日本機動部隊)

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(空母14隻、戦艦14隻からなる第11任務部隊)

日本軍はラバウル空襲によって追い打ちを狙いますが、これはラバウルに米艦隊はいないという米軍情報部の流した欺瞞情報(攻勢チットを使用)によって阻止されました。

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(欧州戦線全体)

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(東部戦線)

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(地中海戦線)

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(太平洋戦線全体)

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(大陸戦線)

という感じで時間切れ終了になりました。

終了時の重要拠点の支配(国別目標との差)
ドイツ 11(−3)
イタリア 3(−1)
日本  11(−6)

イギリス 9(−2)
アメリカ 3(−10)
中国   0(−2)
フランス 0(−2)
ソ連   3(−4)

この後の展開としては、ドイツとイタリアは1945年8月まで国を維持するのは難しいと思われます。時間はかかるでしょうが、おそらくはすべての勝利条件都市は連合軍に奪われるでしょう。
そうなると、焦点は日本軍が支配する11の重要拠点をどのように奪い取るか、あるいは、日本自体を降伏させてすべての支配地点を放出させるかになると思われます。ゲーム的な勝敗はコロネット作戦の成否が握りそうですが、果たして…
posted by AMI at 21:36| Comment(0) | TrackBack(0) | World in Flames
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