# # # #

2012年01月23日

和泉歴史(ゲーム)研究会 2012年1月22日

参加者:12名
プレイされたゲーム:ウェイブ・オブ・テラー(国通)、レパントの海戦(Decision)、Across 5 Aprils (VG)、ドラゴントレジャー(翔企画)、ラインラント戦争 (Decision)

他の参加者のレポート
  • 和泉歴史(ゲーム)研究会
  • ソークオフだよ人生は:『バトル・オブ・レパント』を対戦『ウェイブ・オブ・テラー』観戦『信長軍記』と百楽門またしても『ザ・ラインラント・ウォー』
  • ゲーマーいちねんせい が ゆく

    2012年初ゲーム会は和泉歴史研究会さんになりました。

    ウェイブ・オブ・テラーはバルジの戦いのビッグゲームで、前回開催で約束されていた大阪対和歌山の地域抗争として3on3でプレイされていました。ただ、連合軍を担当する大阪方のメンバーの都合で、私が会場に着いた時点ではさばげ隊長さんが一人で和歌山勢3人のドイツ軍を相手に回して奮闘されていました。
    120122g.jpg

    「レパントの海戦[Lepanto]」はS&T誌272号の付録ゲーム。中黒さんがblogで対戦相手がいないかもと書かれていたので立候補しました。指揮統制などのルールはなく、趣としては昔ながらの会戦級です(海戦ではなく)。両軍を特徴づける要素として、カトリック側はガレアスによる砲撃、オスマン側はラム突撃のルールで一応両軍の特徴は再現されています。

    中黒さんがオスマン帝国の総司令官アリ・パシャおよび右翼シロッコ、関東からお出でになった豚山ゴリ子さんが左翼のウルージ・アリと予備を、私がカトリック神聖同盟全体を担当しました。
    120122a1.jpg

    ゲーム開始時は史実通り西風(東向き)が吹いていますが、彼我の距離は遠く離れており、風向きは毎ターン1/2の確率で変化します。今回はまさにお互いが接敵するという第5ターンに、真逆の東風に変わるという形で変化しました。オスマンガレー船隊の突入により2ユニットが除去。第6ターン、カトリックも接舷距離まで押し寄せ砲撃を行うもこれがまったくの不発。通常のガレーユニットの砲撃は1/3で命中するはずなのだが、逆にいえば2/3で命中しないのだ。こちらの攻撃が完全な空振りにおわったのに対し、カトリック左翼と中央では都合12ユニットが除去されるという惨劇で戦いは本格化していきます。
    続く第7ターン、カトリック艦隊の攻撃もようやく相手に当たり始めるものの、一度傾いた戦勢はなかなか逆転できず、我の戦果9に対して被害は20! 特に塩野女史の「レパントの海戦」の主役であったヴェネツィアのバルバリーゴ指揮する左翼の損害が甚大で頼みのガレアスも左翼で2隻、中央で1隻が失われました。
    120122a2.jpg
    第8ターン、劣勢のカトリック艦隊は斬り込み戦術の使用を開始します。成功率こそ砲撃より高いものの、失敗して撃退されると回復するまで攻撃不能になってしまうと言う諸刃の戦法ですが、こうも被害比率が悪いと贅沢は言っておられません。しかし、結局、このターンも戦果13に対し、被害は残る3隻のガレアスも含む19と劣勢は覆せません。9、10ターンと粘ってみたものの、予備もほぼ投入して逆転の望みも潰えたのでここで投了しました。
    120122a3.jpg
    左翼のバルバリーゴ艦隊はほぼ全滅、中央は一度は敵戦列を突破したものの、後ろからやってきた予備隊との挟撃でこれも壊滅状態、左翼も兵力を二分したオスマン右翼に半包囲を受ける形勢で完敗でした。最終的な損害はカトリック同盟74ユニット、オスマン帝国損害38ユニットでした。

    この敗戦によって神聖同盟は瓦解し、後ろ盾と多くの人材を失ったヴェネツィア共和国はオスマンの属国的な地位に転落、キリスト教諸国はオスマンアレルギーを克服する機会を失い、帝国の黄金時代はあと200年ぐらい続いたんじゃないかな?

    風のせいにはしたくないけど、一番最悪のタイミングで一番最悪の風向きになったのはやはり痛かった。ただ、風向きがよかったので調子にのって前進しすぎたのはありますね。もうちょっと最初のアプローチは慎重にいくべきだったかと。

    あと、コンポーネント上の問題点として、ユニットの向きに意味があり、かつユニットが密集するゲームにも関わらずヘックスが小さすぎるのと、補助マーカーの類がちょっと足りない気がします。機会があれば再戦してもいいレベルには達してますが、この部分の改良は必須だと思います。

    中黒さんと豚山ゴリ子さんはその後、信長軍記(ウォーゲーム日本史11号)を対戦していましたが、信長を担当したゴリ子さんはこのゲームをかなりやり込んでいるそうで、割と短時間で終わってました。
    120122b.jpg

    お二人はその後、THE RHINELAND WAR, 1936-1937(World at War #21)をプレイされていました。1936年のラインラント進駐を引き金にして世界大戦が始まったら?という想定の戦略級ゲームです。こちらもわりとあっさり終わっていたので展開はよくわかりませんでした。
    120122c.jpg

    昼食後、いちねんせいさんと「遣唐使の戦い」をプレイ。シミュレイター3号付録ゲームで唐に使者を送る日本とそれを妨害する新羅の「戦い」です。超ひさしぶりに発掘して準備もしないままプレイしたので忘れていたのですが、これを書きながらようやく思い出したところではボードのサドンデス表示を使うとゲームがすぐ終わってしまうので、これは無しにした方がよかったんだと…。というわけで4ターンでいちねんせいさんの日本の+5点で終わっちゃいました。
    でも、個人的にはこのゲーム好きなので、ウォーゲーム日本史の第二付録とかで復活して欲しいですw
    120122d.jpg

    引き続きいちねんせいさんと「DAK the Desert」を対戦。同人誌時代のゲームジャーナル51号の付録ゲームで、中村徹也さんデザインの北アフリカ戦キャンペーンゲーム。補給と部隊編成に重点が置かれていて、兵站と予備兵力の重要性がよくわかる好ゲームです。
    120122e1.jpg

    序盤、DAKは順調に前進を始めますが、ドイツ軍がトブルクの陸路からの連絡線切断を重視したのに加え連合軍のコマンドが潤沢だったこともあり、第2機甲師団は大損害を被りながらも追撃を振り切り連合軍戦線まで辿り着きました。
    今回、連合軍もそこそこコマンドのダイスがよく、移動が足りなくて苦労するということはそんなになかったのですが、それに輪を掛けてドイツ軍のコマンドが素晴らしく、その殆どが5か6という有様でした。そんなわけで第一次トブルク攻撃も、ドイツ、イタリア軍合計6個師団による強襲となりました。枢軸軍は奮戦したもののやはり要塞の効果が凄まじく、イタリア軍自動車化師団に多大な損害を出して攻勢は頓挫します。
    120122e2.jpg
    しばらく小康期間が続いた後、第二次トブルク攻撃が敢行されますが、要塞の守りは固く、対して枢軸軍はまだ準備不足の模様でした。41年11月で時間切れ終了。時間切れで終わると云うこと終盤はやや無理な攻め方をされていたので盤面の状況は連合軍が若干有利になっていましたが、最後までプレイすることが前提ならまだ13ターンあるし、充分どっちに転ぶかわからないところです。
    120122e3.jpg

    Across 5 Aprilsは南北戦争の会戦級ゲーム。私も名前は聞いたことがある著名なゲームですが、実際にプレイされているところは初めてお目に掛かりました。写真を撮らせてもらったときにちょっと話を聞いただけなので詳しくはわからないのですが、チ見た目は面白そうでした。
    120122f.jpg

    ドラゴントレジャーはモンスターメーカーのボードゲーム。プレイされていた様子は見れなかったので詳細不明。

    閉会後、近くのサイゼリアで新年会で盛り上がりました。
    めっさ濃いトークが聞けて楽しかったです。ロボットバトルヲタクですみませんでしたw
  • posted by AMI at 23:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 遠征日誌
    この記事へのコメント
    コメントを書く
    お名前: [必須入力]

    メールアドレス:

    ホームページアドレス:

    コメント: [必須入力]

    認証コード: [必須入力]


    ※画像の中の文字を半角で入力してください。
    この記事へのトラックバックURL
    http://blog.sakura.ne.jp/tb/53275498

    この記事へのトラックバック